ラーメンはどこから来たのか:「南京そば」から国民食になるまで

中国の麺料理をルーツにもちながら、日本で独自の進化を遂げたラーメン。港町の中華街から浅草の人気店、戦後の屋台、インスタントラーメンの発明まで、その歩みを紹介します。

のり、ゆで卵、ネギをのせた醤油ラーメン
写真:Loozrboy(CC BY-SA 2.0)/Flickr
目次
  1. 港町の中華街から
  2. 浅草「来々軒」と支那そば
  3. 戦後の屋台と「中華そば」
  4. インスタントラーメンの誕生
  5. ご当地ラーメンの広がり
  6. まとめ

日本のラーメンは、いまや海外でも「RAMEN」として知られる人気料理です。そのルーツが中国の麺料理にあることはよく知られていますが、現在のような多彩なラーメン文化は、日本のなかで長い時間をかけて形づくられてきました。

港町の中華街から

江戸時代の終わりに横浜、神戸、長崎などの港が開かれると、各地に中国から来た人々が暮らす地区が生まれました。現在の中華街のはじまりです。そこでは、故郷の料理として麺料理が食べられていました。

明治時代、こうした麺料理は「南京そば」などと呼ばれ、港町を中心に日本人にも知られるようになります。ただし、当初は中国の人々のための料理という性格が強く、日本人の日常食として広く定着するまでには、まだ時間がかかりました。

浅草「来々軒」と支那そば

日本人向けのラーメン店の先駆けとしてよく知られているのが、1910年(明治43年)に東京・浅草で開業した「来々軒」です。横浜の中華街から料理人を招き、醤油味のスープに麺を合わせた「支那そば」を提供して評判を呼んだと伝えられています。

醤油で味をととのえたスープ、チャーシュー、メンマ、ネギといった具材の組み合わせは、日本人の好みに合わせた工夫でした。中国の麺料理が日本の調味料と出会うことで、新しい料理へと変わっていったのです。

大正から昭和初期にかけて、支那そばを出す店は東京をはじめ各地に広がり、屋台で売られることも増えていきました。

戦後の屋台と「中華そば」

第二次世界大戦後、食料が不足するなかで、小麦粉を使った麺料理は人々の空腹を満たす大切な食べ物になりました。駅前や街角には屋台が立ち並び、ラーメンは手軽な外食として一気に広まります。

呼び名も時代とともに変わり、戦後は「中華そば」という呼び方が一般的になりました。やがて「ラーメン」という名前が定着していきます。

インスタントラーメンの誕生

1958年、日清食品の創業者である安藤百福(あんどうももふく)が、お湯をかけるだけで食べられる「チキンラーメン」を発売しました。味をつけた麺を油で揚げて乾燥させる製法により、長期保存と短時間での調理を両立させた画期的な商品でした。

1971年には、カップに入った「カップヌードル」が登場します。インスタントラーメンは家庭の食卓に広く入り込み、やがて世界中で食べられる食品となりました。

ご当地ラーメンの広がり

戦後から高度経済成長期にかけて、各地で地域の特色を生かしたラーメンが育っていきました。

  • 札幌の味噌ラーメン
  • 博多や久留米の豚骨ラーメン
  • 喜多方や尾道など、醤油ベースのご当地ラーメン

それぞれの誕生や元祖については、店や地域によってさまざまな説が語られています。スープの素材、麺の太さ、具材の違いが地域ごとの個性となり、ご当地ラーメンの食べ歩きも一つの楽しみとして定着しました。

まとめ

  • 開港後の港町で、中国の麺料理が「南京そば」として知られるようになった
  • 1910年、浅草の「来々軒」が日本人向けの支那そばで人気を集めたとされる
  • 戦後の屋台で広まり、「中華そば」から「ラーメン」へと呼び名が変わった
  • 1958年のチキンラーメン、1971年のカップヌードルが家庭への普及を後押しした
  • 各地で独自のご当地ラーメンが生まれた

中国から伝わった麺料理は、日本の醤油や味噌、地域の食材と出会うことで、まったく新しい料理へと変わりました。ラーメンは、外から来た料理が日本の「国民食」になるまでの過程を示す、わかりやすい例といえるでしょう。

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